「TOKIO、解散を発表」このニュースを知り、驚いた方も、「やっぱり…」と思った方、ファンにとっては一番起きてほしくなかったことではないでしょうか。
公式発表では、解散の理由は「国分太一さんのコンプライアンス問題」とされています。しかし、具体的な内容は明かされていません。
だからこそ、私たちの頭の中には大きな「?」が浮かんでしまいますよね。
「コンプライアンス問題だけで、あのTOKIOが解散までしちゃうの?」
「山口くんの時も乗り越えたのに、なぜ今回は…?」
「国分くんに一体何が…?」
この拭いきれないモヤモヤ。
今回は、なぜ彼らが「解散」という最も重い決断を下さなければならなかったのか、その理由を考えていきたいと思います。
- なぜTOKIOが解散という決断を下さなければならなかったのか
【考察①】単なるグループではなく「株式会社TOKIO」という企業としての重い責任があった可能性
【考察②】ファンを裏切れないという「TOKIOブランド」を守るための誠実さがあった可能性
【考察③】度重なる問題で修復不可能となったメンバー間の絆があった可能性 - 結論:本人たちにしかわからない
「コンプライアンス問題」の一言で片付けられない何か
まず、今回の発表で最も引っかかるのが「コンプライアンス問題」という言葉の曖昧さです。
もしこれが、タレント個人の不祥事やスキャンダルというレベルであれば、活動自粛や謹慎、最悪の場合でも個人の脱退という選択肢があったはずです。過去に前例がなかったわけではありません。
それでも「グループ解散」を選んだ。
これは、その問題が「TOKIOというグループの根幹を揺るがすほど深刻だった」と考えるのが自然ではないでしょうか。
ここからはあくまで私の推測ですが、「解散」という決断の裏には、3つの理由が考えられます。
考察①:「株式会社TOKIO」という企業の重み
彼らはもう、単なるジャニーズ事務所のグループではありませんでした。城島社長のもと、「株式会社TOKIO」として自分たちの力で歩み始めた、いわば一つの企業です。
企業にとって「コンプライアンス(法令遵守)」は絶対です。
もし国分さんの問題が、企業の存続に関わるような重大な法令違反や、取引先、社会からの信用を完全に失墜させるような内容だったとしたら…?
そうなると、これはタレント個人の問題ではなく、「株式会社TOKIOの経営問題」になります。
会社として事業を継続できない、と判断した場合、「解散=会社の清算」に近い決断を下すのは、企業経営者として当然の責任の取り方なのかもしれません。
タレントである前に、一企業の役員としての重い決断。そう考えると、安易に活動を続けられなかった理由が見えてくる気がします。
考察②:彼らが守りたかった「TOKIOブランド」
皆さんが思う「TOKIO」のイメージって何でしょうか?
- 汗水たらして働く、実直さ。
- DASH村で培った、地域の人々との信頼関係。
- 何でも自分たちの手で作り上げる、誠実さ。
これこそが、彼らが25年以上かけて築き上げてきた、唯一無二の「TOKIOブランド」です。
もし、今回のコンプライアンス問題が、この「誠実さ」「信頼」といったブランドイメージを根底から裏切るものだったとしたら?
彼らは、ファンを騙すように、何事もなかったかのように活動を続けることを良しとしなかったのではないでしょうか。
汚れてしまった看板を掲げ続けるくらいなら、自分たちの手でその看板を下ろす。
それは、あまりにも悲しいけれど、彼らが守り続けたTOKIOというブランドに対する、最後の誠実さだったのかもしれませんね。中途半端に続けることこそが、ファンやこれまでお世話になった人たちへの最大の裏切りだと考えたのではないでしょうか。
考察③:崩れてしまった「メンバー間の絆」
山口達也さんの脱退という大きな困難を、残されたメンバーは必死で乗り越えようとしてきました。特に、株式会社TOKIOを設立してからの彼らには、「ここからが俺たちの新しいスタートなんだ」という強い覚悟が見えました。
そんな矢先に、メンバーの中心人物である国分さんから、グループの存続を揺るがす問題が出てきてしまった。
城島リーダーや松岡さんにとって、それは「またか…」という落胆では済まされない、「もう、これ以上は無理だ」という、心が折れるような出来事だったのかもしれません。
一度ならず二度までも、信じていた仲間に裏切られる形になったとしたら…。グループを続けるための精神的な支柱が、完全に崩壊してしまったとしても不思議ではありません。
「このメンバーでなければTOKIOではない」という強い思いがあるからこそ、「この状態ではもうTOKIOはできない」という結論に至った。そう考えると、辻褄が合います。
まとめ
真実は、当事者である彼らにしか分かりません。ここに書いたことは、すべて推測に過ぎません。
しかし、「なぜ解散まで?」というモヤモヤの答えは、「それほど深刻な問題であり、彼らが誠実であろうとした結果」なのではないか、と私は思います。
ごまかしながら活動を続ける道もあったはずです。でも、彼らはそれを選ばなかった。その不器用で、あまりにも実直なケジメの付け方こそが、最後の最後まで“TOKIOらしい”姿だったのかもしれない、と思うのです。
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